責任感(?)というのか、もろもろリソースが足らなかったりすると、可能・不可能、または現状で出来る・出来ないを抜きにして、基本、自前で行おうとするけど、
大抵の場合、”その”必要な事柄が実際に使い物になるまでには、それ相応の時間や資本が必要になる。
ここで厄介なのが”時間”が必要になるということ。
自分で一から頑張ってるって、言う方も言われる方も気持ちが良い。そして、自前でできるようにと努力している時間についても当人だけでなく周囲の人も含め悦に感じてしまったりして、さらに悪い事に「まだ出来ない」ということが、当初の目標に向けて行動を開始することを先延ばしにする、聞こえが良い言い訳になっていたりもする。
でも、そのきっかけとなったほんとの目的って、何かしらを成し遂げたくて、また、何かしらの目的を達成するためのひと項目のはず。
ほんとであれば、もしその手段を行うことが目的でなければ、自前なのかどうなのかはすっ飛ばして、ほんとにやりたい・必要だと思うことを外注でもなんでも他のリソースに頼ってしまった方が早いし精度も高いと思う。
学び続けることは必要なことだけど、実際になにかしら目標に沿った行動を伴って学び続けられるのが本当に必要な学びのように思う。
やることを決めるよりも、今までやってきたことをやめるのってほんと難しい。
話は変わるけど、最近つくづく感じるのは年齢や業種、現状で物質的に成功しているしていないに関わらず、良し悪し抜きに”今”の人って感じのヒトと、そうでないヒトって明らかに違うなぁと。
意識してやってない時は”そっち側”で、逆に意識してる時は”こっち側”だったり。