ちょっとした会話から思い出したこと。
何かしらの合否を決める際に、
当たり前であるが最終採決を決めるのは最高責任者。
しかし、
その議決権を持っている人の経験も含め、その決めるべき内容での『当事者』であったか否かで、
その決定への経緯、その後のフォローが全く変わってくると思う。
ある程度の人数、規模になっていけば、
最高決定者から見て各セクションの責任者などの間接もまた増え、
各々が責任を果たし、信頼で繋がっているという条件では、
あくまでも全てを各責任者が知る必要もなく、
その該当責任者への一存で決定することもある。
※その該当責任者の個人的な目論みが入ることもしばしば…。
そういった場合、
その該当せ金舎より上位の役職者は、
その決定すべき内容に熟知せず、「分からないから任す」といった言葉が出てくることも…。
そのような場合、
実際にもろもろと熟知しているのは末端から中間に属する人であることが多く、
そういった人たちに意見を求めらることになるが、
多くの場合、
そいうった問い掛けに対しての結果は、
表面的には届くが、結果としては反映されない。
最終的に、決定者同士も実は表面的にしかその事柄に精通していないのに採決が下されることに。
※そういった場合ゴーサインが出ても、かなりの確率で『そこ』がボトルネックになる。
もちろん、
ある程度の規模になっていけば、
各責任者が全てのことを熟知していることが重要ではなくなっていくとは思うが、
過去、当事者であった経験や、知ろうとすることが結構重要であったりすると思う。
バランスの問題と思いがちだが、
結果としてバランスを取ること自体が結論として違うのでは…。
全てに精通する必要はないかと思うが、
その当事者の意見の反映のさせ方、吸い上げ方が非常に重要かと。
…。
と、そんな物思いにふふけっている場合ではなく、
現状の制作当事者として、最低でも1.5倍増しでいかねば…