「5年目の筋目ではなく、ただ5年過ぎただけ」。たまたま観ていたテレビから聞こえた被災地の方の言葉。
都内で震災を体験し、その光景を目にしてきてもなお、今、テレビでその光景を見ているとどこか不思議な感覚になることも。
震災直後、見知らぬ人たちがUSTREAMなどのライブ配信で流してくれていたNHKなどのテレビで放送されている各地の様子をインターネットで観て、不謹慎だけど映画でも観ているかのような感覚になったことを思い起こさせ、同じような感覚になります。
もちろん電話回線は使えず、そのときの連絡手段は一部の旧固定電話回線(黒電話?)とインターネット回線。
一部インターネット回線を使った通話アプリはありましたが、当時、LINEはまだなくそのときのコミュニケーションや情報を得る方法はTwitterとFacebookがメインでした。
当時は会社から徒歩圏内に住んでいたため自宅へ戻り、若干の片付けのあと、関係者や知人をはじめTwitter上で見つけた方々へ、普段は電車通勤のなか不慣れな徒歩での帰宅の誘導を行ったり、震災情報、避難所や関連施設の情報の拡散を行っていました。
そういったなか、Facebookで知り合った海外の方々からメッセージをいただいたり、Twitterを中心にインターネットの存在に改めて助けられました。
震災での活躍をとおして、インターネットを通じたコミュニケーションが見直されたひとつのきっかけにもなったように思います。
揺れや直後の光景もたしかに強く印象に残りましたが、震災にあったんだと実感したのは、震災直後の光景にはじまり、翌日以降に主要な食品は空になったスーパーで食品確保にやっきになり高齢者を押しのける光景、テレビやインターネットをとおした光景など、3.11を境にした数日後の様子を目の当たりにしてからでした。
震災当日は金曜日だったため、翌日からのビジネス街はいつもの週末を思わせる静けさの中にありました。
数日内にはコンビニやスーパーには食品が並び始め、回線や交通手段の復旧など、大変ななかそのために尽力された方々には頭が下がります。
全国での行事開催の見直しや節電の夏など、どこか消極的というか抑えめムードが続きましたが、それもいつの間にか奮起する言葉に。
でも、被災中心地域をはじめ、都内などの近隣地域、また日本全体が少なからず東日本大震災の被災地になったんだと思う。
その日移行、復興に向け尽力されている方々をはじめ、生業を通して被災地復興のために作業を行っている友人たち。
「まだ」なのか「もう」なのか。その日以降、僅かながらでもなにか変わった人がいるのは確かではないだろうか。そして、そのときの体験を伝えることも、もしかしたら少しは役に経つのかもしれない。
時計を早めようと決めたのに進んだり戻ったり、もがいている状態。目標までぜんぜんまだまだだけど、震災以降、その日はその足元を確認のできる日になった。
震災で被害に遭われ亡くなられた方々へご冥福を申し上げるとともに、被災地のさらなる復興をお祈り申し上げます。
2016年3月11日
震災のあった年に、仕事用ブログに書いた東日本大震災の当日のこと。
2011年仕事納め
昨年、2015年3月11日に書いたこと。
3.11 x 4 – blog
平成23年3月11日(2011年)14時46分 東北地方太平洋沖地震
平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震 ~The 2011 off the Pacific coast of Tohoku Earthquake~
https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/2011_03_11_tohoku/
イノベーション東北 全国拡大。 地域を元気にする取組みを応援します
https://googlejapan.blogspot.jp/2016/03/google-npo-2013-5-369-1971-448-1854.html
東日本大震災(東北地方太平洋沖地震) – Google
https://www.google.com/intl/ja/crisisresponse/japanquake2011.html
東日本大震災から5年 – Google ストリートビュー
https://www.google.co.jp/maps/streetview/#5-years-after-the-great-east-japan-earthquake