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「5年目の筋目ではなく、ただ5年過ぎただけ」。たまたま観ていたテレビから聞こえた被災地の方の言葉。

都内で震災を体験し、その光景を目にしてきてもなお、今、テレビでその光景を見ているとどこか不思議な感覚になることも。
震災直後、見知らぬ人たちがUSTREAMなどのライブ配信で流してくれていたNHKなどのテレビで放送されている各地の様子をインターネットで観て、不謹慎だけど映画でも観ているかのような感覚になったことを思い起こさせ、同じような感覚になります。

2011年3月11日の震災直後の元勤務先付近の様子
2011年3月11日震災直後の東京都中央区日本橋兜町の元勤務先付近の様子
都内は電車など交通手段は全面ストップ。近所のコンビニもあっというまに品物が消え、暗くると辺りには徒歩で家路に向かう人々の行列。

もちろん電話回線は使えず、そのときの連絡手段は一部の旧固定電話回線(黒電話?)とインターネット回線。

一部インターネット回線を使った通話アプリはありましたが、当時、LINEはまだなくそのときのコミュニケーションや情報を得る方法はTwitterとFacebookがメインでした。

当時は会社から徒歩圏内に住んでいたため自宅へ戻り、若干の片付けのあと、関係者や知人をはじめTwitter上で見つけた方々へ、普段は電車通勤のなか不慣れな徒歩での帰宅の誘導を行ったり、震災情報、避難所や関連施設の情報の拡散を行っていました。

2011年(平成23年)3月11日(金)震災直後の避難場所の坂本町公園(東京都中央区日本橋兜町)の様子
2011年(平成23年)3月11日(金)震災直後の避難場所の坂本町公園(東京都中央区日本橋兜町)の様子

そういったなか、Facebookで知り合った海外の方々からメッセージをいただいたり、Twitterを中心にインターネットの存在に改めて助けられました。
震災での活躍をとおして、インターネットを通じたコミュニケーションが見直されたひとつのきっかけにもなったように思います。

揺れや直後の光景もたしかに強く印象に残りましたが、震災にあったんだと実感したのは、震災直後の光景にはじまり、翌日以降に主要な食品は空になったスーパーで食品確保にやっきになり高齢者を押しのける光景、テレビやインターネットをとおした光景など、3.11を境にした数日後の様子を目の当たりにしてからでした。

震災当日は金曜日だったため、翌日からのビジネス街はいつもの週末を思わせる静けさの中にありました。
数日内にはコンビニやスーパーには食品が並び始め、回線や交通手段の復旧など、大変ななかそのために尽力された方々には頭が下がります。

全国での行事開催の見直しや節電の夏など、どこか消極的というか抑えめムードが続きましたが、それもいつの間にか奮起する言葉に。

震災後、節電など自主規制ムードの街並み(東京都中央区銀座)
震災後、節電など自主規制ムードの街並み(東京都中央区銀座)
誤解を恐れずに言えば、地元浜松でのその日話しをすると、その感じ取り方の差異は正直あるように思う。
でも、被災中心地域をはじめ、都内などの近隣地域、また日本全体が少なからず東日本大震災の被災地になったんだと思う。

その日移行、復興に向け尽力されている方々をはじめ、生業を通して被災地復興のために作業を行っている友人たち。
「まだ」なのか「もう」なのか。その日以降、僅かながらでもなにか変わった人がいるのは確かではないだろうか。そして、そのときの体験を伝えることも、もしかしたら少しは役に経つのかもしれない。

震災以降に思い、感じ、決めたこと。区切りをつけたこと、改めて目指そうと思ったこと。
時計を早めようと決めたのに進んだり戻ったり、もがいている状態。目標までぜんぜんまだまだだけど、震災以降、その日はその足元を確認のできる日になった。

震災で被害に遭われ亡くなられた方々へご冥福を申し上げるとともに、被災地のさらなる復興をお祈り申し上げます。

2016年3月11日

震災のあった年に、仕事用ブログに書いた東日本大震災の当日のこと。
2011年仕事納め
昨年、2015年3月11日に書いたこと。
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平成23年3月11日(2011年)14時46分 東北地方太平洋沖地震

平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震 ~The 2011 off the Pacific coast of Tohoku Earthquake~
https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/2011_03_11_tohoku/
イノベーション東北 全国拡大。 地域を元気にする取組みを応援します
https://googlejapan.blogspot.jp/2016/03/google-npo-2013-5-369-1971-448-1854.html
東日本大震災(東北地方太平洋沖地震) – Google
https://www.google.com/intl/ja/crisisresponse/japanquake2011.html
東日本大震災から5年 – Google ストリートビュー
https://www.google.co.jp/maps/streetview/#5-years-after-the-great-east-japan-earthquake

判断基準とものごし

少しひさびさに、友人が昨年オープンしたショールームへ。

落ち着きもあり、わりと硬いイメージのある旧友。ものごしはやわらかくもあり、独特。

最近会えば話題の中心はお互いの仕事の話し。あとはちょっと凧のこと(笑)。

某話題から「迷ったらやるかやらないか」の判断で、お互いにそのときは「やる」。
結果的にそうはできなかったこともあったけど、その意志表明はしてきたつもり。

その結果、どちらかというと失敗の方が多かったような気もするけど、たぶん今後も変わらないと思う。

知人のなかでもそういったときは「やらない」、または「停滞」という判断を基本としている人たちもいた。
どちらかというと世間一般からはそういった人たちのほうが冷静で落ち着きがあり、一見正しい印象を持たれているように思う。

彼もまた、もう一段上がるための物事の真っ最中。
あれこれ想定はしているようだけど、その根底にあるのはそういった判断があるように思う。

自分の相談についてもやはり他の友人同様、「もうやっちゃえば?」ときっぱり。

平成28年度浜松まつり伝承会。キッカケ作りに、ふと。

凧場で一人で凧揚げをしている姿を見て、揚げ方だけでなく凧の仕組みの勉強にもなるだろうし半畳の凧ほしいかもと。

平成28年度伝承会でのひ組の様子

前日まで天候が心配されていましたが、日曜日の午前中は天候にも恵まれ広沢町ひ組も中田島の凧揚げ会場で行われている伝承会へ。

凧場は程よい天気と当日のそれを少し感じる空気もあってか、心地よい雰囲気。

平成28年度伝承会でのひ組の様子
平成28年度伝承会でのひ組の様子

けっこうたくさんの組(町)が来ているなあといった印象で、翌日、某友人に聞いたところ60町ほど来ていたという話しも。
せっかくの機会なので、待機時間などは他町の凧の揚げ方の手ほどきに聞き耳を立てていました。

そういったなか某センパイから「世代世代で伝えていくために、インターネットや動画使ったりとかどうかね〜」といった話題に。

技(技術)の継承は口頭での言い伝え、感覚、空気感、雰囲気など、体験抜きにはムリ。
でも自分自身に置き換えてみても、動画やなにかしらの閲覧可能な資料があればヒントやキッカケには役立つかもなと。

平成28年度伝承会で揚がっている各町の凧

まつりに参加して中心寄りになりたいと思ったきっかけは仲間といっしょだからとか、その場の人たちとの時間が楽しかったりとか。

次の世代の人たちに対してその手前の「興味」に働きかける方法としても、動画だけでなく情報との新しい接点の場をつくることも、きっかけ作りのひとつとして役立つように思います。

当日を迎えるまでの時間もまた楽しいわけで、そういったことをしってもらうためにも表面的なことだけでなく、ひ組の非公認広報(?)の活動の一環としても、なにかちょっと一考。。

ちなみに、「文教地区」のくだりはちょっと続きそう…(笑)

そういった流れとはぜんぜん関係ないけど、ちょっと試しに撮った短いタイムラプス動画。

平成28年度広沢町凧揚会ひ組 発会式と凧話し

センパイの方々をはじめ後輩たちも揃うなか、先日は広沢町凧揚会ひ組の平成28年度「発会式」。

両隣に住んでる人を知らないことが普通だったり世帯規模の減少のなか、おじさんおばさん世代から若い世代さまざまなメンツが顔をそろえる機会があるのもまつりのある地域の特徴であり環境の「良さ」。
自分が今の年代だから感じたのだろうし、十代の頃にはそんなこと感じたこともなかったけど(笑)

平成28年度広沢町凧揚会ひ組発会式 自治会長挨拶
[広沢町 自治会長挨拶]
平成28年度広沢町凧揚会ひ組発会式 組長挨拶
[ひ組 組長挨拶]
平成28年度広沢町凧揚会ひ組発会式の様子

同級生の中心メンバーたちはお酒の”アテ”に”凧話し”。そういった光景も凧の楽しさのひとつであったり。

平成28年度広沢町凧揚会ひ組発会式 静岡県議会議員 竹内良訓氏ご挨拶
[静岡県議会議員 竹内良訓氏ご挨拶]
平成28年度広沢町凧揚会ひ組発会式 衆議院議員 塩谷立氏ご挨拶と浜松市議会議員 須藤京子氏
[衆議院議員 塩谷立氏ご挨拶と浜松市議会議員 須藤京子氏]

個人ブログではなく、できれば”公的”に使えたらなあと勝手に思いつつ…なるべく写真を撮るようにしてるのだけど、さすがにスマホで撮ってると反感を買ってそうな雰囲気だし、正直失礼な感じも拭えないのでやっぱカメラを常時持参しようかな。

広沢町ひ組の凧

翌日はあたたかく春めいた日差しのなか、時間のあったメンバーで少しだけ来週末の「伝承会」の準備など。

途中、同級生のお父さんがふと散歩で現れたり、近所の方々から声をかけられたりと、天気もあいまってゆったりとした時間でした。

広沢町ひ組の凧
浜松市中区広沢町 日枝神社

平成28年度浜松まつり 広沢町凧揚会ひ組はじまりました

平成28年度の広沢町凧揚会 ひ組がはじまりました。
先週の役員新年会には残念ながら不参加でしたが、本日は浜松まつりに向けた準備へ。

広沢町ひ組まつり準備

先輩方をはじめ各役員、友人たちなどはすでに以前から準備に入っているのですが、自分は遅ればせながら本日より。

ひ組での参加は小学校のラッパ隊時代からはじまり、中学高校、専門・社会人になって当分の間まで、ずっとお世話になっていて、地元にもどってからも改めてお世話になっています。
※ほんとは1回(?)他町で。。

社会人時代はサービス業(美容師)であったことからも準備などにもあまり参加できなかったり、都内へ引っ越してからはより一層遠ざかっていたりしました。
それでも先輩方や古い友人たちのお陰で、地元に戻ってからもそれぞれの年代らしいまつりを楽しませてもらっています。

今年は小学校時代から付き合いのある初の同級生の組長。

僭越ですが伝統や礼儀、歴史や技・手法、そういったものを広めつなげるために新しさも含め、微力ながら自分もなにかお手伝いができればと。
今年も宜しくお願いします。

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