“商売はアキナイ”なんて言われたりするけど、まさにそうだと思う。
ある程度、またはそれなりに思い入れや時間をかけたモノに対して、もともとはアセアセしながらも考えて、「こうだったら…」なんて意識せずとも考えながら行なっていたことが、いつの間にか(もしくは意図して)、結果としてソレを行うことが目的の”作業”の一つとなっていく。
周囲でそれに気付いてなにかに付けて触れても、ソレを行うヒトは気付いても変わらない。その時にはもう”作業”のひとつになってしまっているから。
作業と行動は全く違ったりする。
なにかしらの数値、または手遅れに近いけど結果を垣間見て気付く…、いや、そうなっていたらもう気付かない。
その時に頭に過るのは「(過去)こうだったから…」。
もうこうなったら、大多数の人はそこから脱出するのは難しい。
成長をやめようと思っているはずもないし、表立って手を抜こうと思ってもいるはずもない。
でも、結果としてアウトプットしたモノの違いは当人には気付かない。特に、それを行なっているのが実直であるヒトであればこそのように思う。
何かしらの本などでよく語られるものだけど、それはよくある話。
そして、それを達観してる風に見ていたり、どうせ…と思ったりしているだけなのも下衆な話。