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実感としては正直、「まだ」4年なのかと。

今でもはっきりと覚えている震災の瞬間。そのとき自分はちょうど、少し遅めの昼食を済まして会社へ戻り、いつものように作業へ戻ろうとした直後、その揺れが始まりました。

なかなか止まない揺れの中、揺れるモニターなどを押さえながら社長と目を合わせました。

2011年(平成23年)3月11日(金)の避難時の坂本町公園(日本橋兜町)の様子
2011年(平成23年)3月11日(金)の避難時の坂本町公園(日本橋兜町)の様子 – kazunoriiguchi.com

東北地方太平洋沖地震 – Wikipedia
2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分18.1秒

一旦揺れが収まり、会社の外へ出てみると、近所のビル内から避難して路上に集まる人々。

その時はまさかこんなに被害が出てくる(出ている)とは思っても見なかった、避難所の近所の公園。

避難所から戻り、社内で情報を検索していて見つけた、NHKのテレビ放送をインターネットで公開してくれていた津波の映像。不謹慎な表現だけど、最初は全く現実味がなく映画か漫画を見ている気分にもなった。

携帯電話回線がまったくダメでも活躍したTwitter

帰宅困難の人々へ率先して避難所を提供している方々への誘導、情報提供、安否確認などにもソーシャルメディアは多大な貢献をしたと思います。

震災の夜、様々な思いで帰宅の途へ歩く人々の波。それでも家族を思い近所の自転車やなどなにか交通手段はないかと探し出し、会社から自宅へ向かった社長を自宅からナビしたり。

実際には会ったこともないFacebook上での海外の方々などからのメッセージ。

翌日以降、そのままなにも買わずに出てきた近所のスーパーで我先にと溢れかえる殺伐とした光景。

そして、そういった体験からも「時計を早めよう」と思ったこと。

建築・土木系の職務で復興を願い、自らの選択で福島への出向を望み早数年となる友人など、ほんとに頭が下がります。

復興へ向けていろんな行動があるかと思いますが、「その時」を忘れず想うことも、復興への一助となるのではないでしょうか。

2015年3月11日

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